top of page

阿多野用水について

1.着工・・・寛文8年(1668年)、完成・・・寛文12年(1672年)

 

2.完成時の概要

 

     水源地・・・布引の滝

     堤・・・・・湧水を一時的に溜めるために造られ、大きさは、長さ50間          (約90M)、横32間(58M)。

     隧道・・・・5箇所 453間(815M)

     水路・・・・5981間(1077M)

 

3.開発費用・・・9000両

 

4.事業の中心人物

 

     ・池谷市左衛門・・・湯船の名主。阿多野開拓を発案し喜多氏と共に中心                                                           的な役割を果たした。工事完成後、湯船名主を子供                                                           に譲り、阿多野に移り住んだ。

 

     ・喜多善左衛門・・・江戸材木町で米穀商を営んでいたが、江戸で市左衛                                                           門と知り合い、開拓の話を聞いて援助者となり資金                                                           を調達、阿多野に移住し、嫡男長十郎と共に着工、                                                           工事を完成させた。

 

 阿多野用水は、大御神の布引の滝を起点として、現在も阿多野・吉久保・菅沼耕地の用水の役目を果たしている。特に阿多野にとっては、稲作と水菜栽培に使用される水は、すべて阿多野用水から引かれており、現在においても、とても大切なものである。

 

 阿多野用水は、過去3度大災害により損害を受け、水源地から湧水を引いてくることができなくなっている。1度目は、宝永4年(1707年)の富士山の大噴火。2度目は、大正12年(1923年)の関東大震災。3度目は、まだ記憶に新しい平成22年9月8日の台風8号により、湧水を溜める堤が跡形もなく崩壊したことである。

 

 平成22年の台風災害は、激甚災害に指定された。国、県、町の支援により始まった、堤の復旧工事は平成23年の12月までかかり、水菜と稲作は1年間、休耕することとなった。復旧された現在の堤の様子が下の写真である。

写真手前から湧水が流れ込んできて写真奥の擁壁で一旦せき止められます。用水路に湧水を送る灌漑設備。これがすべて湧水です。

堤に溜まった湧水がこの場所に上がってきます。

ここから用水路を通って阿多野地区に用水が供給される。

上下二枚の写真から湧水の透明度がかなり高いことがわかる。

bottom of page